ヒゲの雑学・豆知識

ヒゲの文化と歴史 ~場所や時代によって価値観は変わる~

この記事では世界のヒゲ文化、そしてヒゲの日本史について、文献を参考にしながら、熱く語っていこうと思います。

なかなか長くなりますが、興味がある方はぜひ読み進めてみてください。

 

 

 

 

世界のヒゲ文化

世界中には様々な人種がいるため、一口に世界のヒゲ事情について語るのは難しいですが、

ヒゲの有り/無し、生え方・生やし方に関して言えば、人種宗教が大きな影響を与えていると言えるでしょう。

 

国籍による違いも多少は認められますが、それよりはどちらかというと「ヨーロッパ」や「中東」といった地理区分で分けて考えた方がしっくりくると思います。

 

 

なお、ヒゲと人種の関係については、以下の記事で詳しく解説していますので参照にしてみてください。

髭と人種の関係について。日本人のヒゲは濃いor薄い?今回のテーマは人種とヒゲの関係についてです。 まず結論から申し上げますと、ヒゲが濃い人種・薄い人種というのは、はっきりと断...

 

 

歴史を遡っていけば、ヒゲがその時代においてどのような意味を持っていたか、ということがある程度はわかります。

 

イスラム教の開祖「ムハンマド」や、キリスト教の開祖「イエス=キリスト」の肖像画を見てもわかるように、口やあごに立派なヒゲを生やしています。

特に多くのイスラム教徒が分布している中近東においては、ヒゲは権力や男らしさの象徴として見られており、男性なのにヒゲを生やしていないとおかしな目で見られる、といったレベルです。

 

ヒゲは、人によって生えてくる人・あまり生えてこない人がいるので、そういった先天的な要素は仕方のないことです。

しかし、ヒゲが生えてくる人は敢えて剃ってツルツルにしたり、オシャレをしようとしたり、ましてや脱毛をする人なんて中東・イスラム圏ではありえないことなのですね。

 

その点、キリスト教徒が数多く点在するヨーロッパやアメリカにおいては、ヒゲに関してはフリーダムと言いますか、良くも悪くも「どうでもいい」という風習です。

 

ヒゲが濃い人は無精ひげの人もいるし、ある程度剃ってオシャレなヒゲにする人もいます。

 

当然、ヒゲを嫌って脱毛するような人もたくさんいるのです。

 

何の処理もせずにヒゲをボーボーに生やしていると「だらしない」と見られる、日本と同じような感覚もあるようです。

 

 

 

 

日本のヒゲ文化と歴史

現在の日本のヒゲ文化に関しては、日本人であれば誰しもが知るところでしょう。

ある人はオシャレにヒゲを生やしてファッションの一部とし、ある人は青いヒゲが嫌だ!と脱毛を試みる(私のように)。

ひとたびサラリーマンになれば「ヒゲは不潔だ」とか「印象が悪い」だとか言われ、結局毎朝5分だか10分だかかけてヒゲを剃る…。

大体オシャレor邪魔モノのどちらか一択として扱われます。

 

日本人にとってヒゲとはその程度の存在であり、さして「文化」と呼ばれるほど重要なものではないと、多くの人は思っていることでしょう。

 

ただ、日本にもヒゲが重要な役割を果たしていた時代がありました。

先述した「中東でのヒゲ文化」のように、権力の象徴であったり、あるいは世間でファッションとして大流行したり…といった具合です。

 

ざっくりとではありますが、以下に各時代の「ヒゲ」について説明していきましょう。

 

 

古代~江戸時代前期のヒゲ

古代には僧侶以外の男はヒゲを蓄えていたとされています。

 

ヒゲに「文化」としての様相が入るのは、平安時代頃からです。

平安時代は、「鼻の真下は剃り、口髭を細く左右に垂らし、あごひげを10cm前後伸ばす」“天神髭”というスタイルが流行しました。

この頃から「ヒゲを剃る」という文化が成り立ち始めます。

 

平安末期以降は、身分によって状況が異なります。

公家・堂上においてはヒゲ無しが一般化する一方で、武士階級においては多量のヒゲを蓄え、武威を誇示するようになりました。

これは、政治権力が公家から武家へと移り変わる過程と合致しています。

また、この過程は同時に、女性の社会的地位の低下とも関係すると言われており、ヒゲは女性に対して権力的な男性性を示すシンボルになったとも言われています。

 

 

江戸時代中・後期(大髭禁止令)

江戸時代前期までは、前述したようにヒゲが男性性や権力を象徴するものとして扱われていましたが、中・後期は事情が大きく変わることになります。

というのも、1670年(寛文十年)、四代将軍・徳川家綱の時に、大髭禁止令(大ひげ禁令)なるものが発令されたからです。

江戸時代に入りしばらくして平和な時代がくると、大きな戦乱も無くなったために、ヒゲ=権力象徴・武威というイメージはだんだんと無くなっていきます。

その一方で、「かぶきもの」や「辻斬り」といった素行の悪い人間が増えていき、そういった人々を取り締まる法の一環として、大髭禁止令が出されたのです。

言ってしまえば、「戦い」や「権力」の象徴であったヒゲが、平和な世の中のせい(おかげ?)で、「野蛮」「粗暴」といったイメージを持たれるようになった、ということなのですね。

「大髭禁止令」は、まさしく当時の時代背景を反映している法であると言えます。

 

 

明治・大正時代

江戸末期に開国し、鎖国文化にピリオドを打った日本。

外国人が到来し、その影響は当然ヒゲにも及びます。

明治時代になると、官吏をはじめ、政治家・学者・実業家・地主など社会的に一定の地位を持つ人の多くが、調整したヒゲを生やして街を闊歩するようになりました

一種のステータスのような感じですね。

 

明治時代にはヒゲが大流行したわけですが、大正時代の特に「大正デモクラシー」と呼ばれる時期は、権威主義的なヒゲは避けられるようになっていきました。

ほとんどがヒゲ無しであったり、あるいは「チャップリン髭」「コールマン髭」といった小さなヒゲが主流でした。

背景として、アメリカ文化の影響と共に女性の立場が少しずつ強くなりつつあったことがあります。

そのような状況の中で、昭和期を迎えることになります。

 

 

昭和以降~現在

「ヒゲは権力・闘争・武威の象徴である」という考え方は、これまでのヒゲの歴史の中でも何度も言及されてきました。

歴史は繰り返されるといいますが、昭和の軍国主義時代にも同じような流れがやってきます。

当時の指導者や権力者の写真を見返して見れば一目瞭然ですが、ヒゲを生やしている人が非常に多いです。

あごひげ・口ひげともに長く伸ばし整える人が増え、いわばヒゲ時代の復活ともいえるかもしれません。

 

戦後は、高度経済成長期の流れで、「サラリーマンはヒゲを沿って手入れすべし」といった流れが作られていきます。

現代のサラリーマン(特に営業マン)にも通じますが、こうしてヒゲが忌避される時代が再び訪れました。

ただ、その中でもオシャレの一種として存在感を放つヒゲも出てきたり、かといえば脱毛をして完全にヒゲを取り払う人が出てきたり、多様性が生まれているのが現代の特徴と言えるでしょう。

 

 

 

 

おわりに

今回は、ヒゲの文化とヒゲの日本史についてまとめてみました。

なお、日本のヒゲ史を解説するにあたり、阿部恒久氏の『ヒゲの日本近現代史』という書籍を大いに参考にさせていただきました。というかほぼそのまんまです。内容を超端的にまとめただけですので、気になる方はぜひ読んでみてください。

本文中で言及したように、ヒゲは日本でも世界でも、「権力」や「男らしさ」の象徴とみなされているor見なされていた時代もありました。

 

ちなみに個人的な話ですが、私は、ヒゲなんかマジでいらねぇって思っています。(笑)

なんとか必死に脱毛・抑毛を試みている毎日です。同じような考え方の人、もしいましたら、ぜひTOPページの記事も読んでみてください。きっと参考になると思います。

ヒゲ医療脱毛のすゝめ

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